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ベトナムのロマンアルファベットの 誕 生
(グエン.ヴァン.ヴィン氏の超越的死)

         
アレキサンドル・ド・ロード              グエン・ヴァン・ヴィン
(1591 - 1660)                                    (1882 - 1936)

ベトナムでは、20世紀の初めまで1000年間に渡って漢字が使用されていた。言語のローマ字化は、17世紀にヨーロッパ人宣教師が初めてベトナムを訪れた後に起こった。カソリック教布教の為に6年間(1624年〜1630年)をベトナムで過ごしたAlexandrede Rhodes(アレキサンドル・ド・ロード)という人物は、ベトナム語にローマ字表記を取り入れるのにいちやくをかった。彼はベトナム語によるカテキズム(教理問答書:祈祷書におさめられている初心者用の質問と答)と、ベトナムムラテンムポルトガル語の辞書を、1651年に初めてローマで発行した。彼の尽力により、ベトナムは自国の言葉をローマ字表記する東アジア唯一の国となったのである。この表記方法は"quocngu"(国語)と呼ばれていて、現在ベトナムの国語となっている。

1882年、ハノイがフランス軍に占領されたその年にNguyen Van Vinh (グエン・ヴァン・ヴィン)は生まれた。彼の両親は貧しく、子供達の教育費を支払うことができなかった。6歳になったVinhも家計を助ける為、ハノイのある通訳訓練校で働かなければならなかった。彼の仕事は、授業中に新鮮な空気を取り入れる為に教室の天井に設置された、竹製の送風機を動かすことだった。これは彼にとって、働きながらフランス語の授業を聞ける絶好の機会となり、彼はあっという間にすべての授業内容を学び取ってしまった。彼のこの秀でた能力を目にとめた教師は、Vinhがその学校で奨学金を得て勉強できるよう校長に掛け合ってくれた。16歳の時、首席で学校を卒業したVinhは、素晴らしい通訳者となり、独力で多くのことを学んだ。
1907年、Nguyen Van Vinh が25歳の時、彼はハノイで最初の印刷所を設立し、Tonkin(ベトナム北部)で初めての新聞をquocnguで発行した。1913年にはDong Duong Tap Chi (インドシナ・ジャーナル)を創立し、quoc nguで文学作品を執筆する方法を学んだ。彼はまた、フランスの古典文学作品をベトナムのquocnguに翻訳したり、有名なベトナムの小説Kieu(Nguyen Du著)をフランス語に翻訳した最初の人物でもあった。こういった彼の努力により、ベトナムの人々に西欧の知識と文化が拡がり、quocngu はベトナム社会により受け入れられ易くなった。そして1918年にはKhai Dinh 王がquoc ngu を正式にベトナム国語とすると発表し、漢字は廃止されたのである。

Nguyen Van Vinh は、しかしながら、記者業と印刷業だけでは生計を立てることができなかった。彼の印刷所はついには倒産してしまったのである。彼はゴールドラッシュ期にラオスへ渡り、1935年にそこで死した。彼の遺体は手にペンとノートを握った状態で、ラオスの南部のSepon川岸のボートの中で発見された。彼は、死の最後の瞬間まで記事を書き続けていたのである。棺が列車でハノイに運ばれ、厳粛な静けさの中、多くの市民がセントラル・レイルウエイ駅のメインゲートで彼を出迎えた。才能と勤勉さをもって、ベトナム語表記にquocngu を国語として取り入れるのに力を尽くした彼に、別れの挨拶をする為であった。

この絵はAlexanderde RhodesとNguyen Van Vinhという二人の偉大な人物に対する敬意を表して作成された。


グエン・デイン・ダン