みなさま、

創造者の創造物を本人よりわかる者はいません。同じように、芸術家より芸術をわかる者はいません。それで、美術において、同業者である画家に認められる以上に喜びはありません。18年前、1987年、私は、プロの画家や芸術の団体であるベトナム国立美術協会のメンバーとして認められとても感激しました。そして、今日、主体美術協会会員になれてことを身に余光栄と存じます。

私は1994年に来日しましたが、そのときはこんなにも日本に長くいるとは思いませんでした。私は芸術ではなく、科学を選びました。しかし、運命は天に与(あた)えられるものなのです。その結果、私は昼間に物理研究者として仕事をし、夜と休日に画家として絵を描いています。物理を研究することと絵を描くことの違いは、物理は言語、少なくとも英語を使うことは避けられないというところです。しかし、絵を描くには言語は必要ありません。色と線がすべてを語ってくれます。美術はどんな文化も言葉の壁も乗り越えることができます。日本に住んでいて、日本のみなさんの親切さ、社会の安全なこと、そして言論の自由や表現の自由といったような平等な社会、に触(ふ)れることができとても嬉しく思います。そして、今日、主体の一員になれてとても感激しています。

この場を借りて、10年来の友人である畠さんに心から感謝したいと思います。また、主体展で出会って昨年の11月に一緒にグループ展を開いた中川さん、榎本さん、岡本さん、門屋さんにも心から感謝しています。他にも、時間の都合でお名前を挙げられなかった主体美術協会の方々にも感謝しています。皆様ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。