“Amami, Amami!”

                                

グエン・デイン・ダン

 

私が奄美大島のことを初めて聞いたのは17年前のことで、その頃私は埼玉県にある理化学研究所(理研)で仕事を始めました。そこで、私は理研の審議役の関理夫さんに出会いました。

 

関さんは亜熱帯の奄美大島の出身です。私は関さんから、奄美諸島が日本本土から250マイル南にあり、日本という単一文化のもつ画一的なイメージとはまるで異なる独立した文化を持っていることを教えられました。1995年のある日、関さんは私を奄美出身の画家の畠理弘さんのアトリエに連れて行ってくれました。畠さんは私が初めて会った日本人の画家でした。

 

畠さんは、休暇で奄美に帰郷中に、浜辺で集めた貝殻を一杯詰めた箱を私に送ってくれました。それまで、私は奄美諸島を一度も訪れたことはありませんでしたが、その時『奄美諸島からの巨きな貝殻たち』というタイトルの奄美をテーマにした最初の絵を描いてみようと決めました。この絵は、2001年に開いた私の最初の個展で展示しました。関さんはその展示会を訪れてくれ、そして後にこの絵を買い取ってくれました。こうして、関さんと畠さんとの長い交友が始まりました。

 

私の最初の奄美訪問は、たまたま昨年5月に田中一村美術館で、私自身を含む11人の主体美術協会のメンバーで開催したグループ展の閉会に妻とともに参加した時のことでした。私たちの訪問はわずか3日間で、ちょうど大きな台風が上陸する直前に終わりました。台風の前の天候は蒸し蒸ししており、空は灰色の雲が覆い、ちょっとしたモンスーンでした。それでも、奄美の人々の親切な持て成しは私の心の奥深く沁みました。人々は、妻と私を観光に連れて行ってくれました。私たちは、陽気で誠実な人々に出会い、その心のこもった持て成しと謙虚さに深い感銘を受けました。

 

最後の夜、奄美の友人たちが、畠さんと妻と私を奄美の中心都市の名瀬市にある「吟亭」という居酒屋での歓送会に招いてくれました。そのデイナーでは、居酒屋のお女将さんで有名な島唄の唄い手である松山美枝子さんと、彼女の15歳の孫娘のマリナちゃんによる島唄もありました。美味しい日本料理と奄美の踊り(民族舞踊)、それに、紬の着物を着たお祖母ちゃんの囃しでヒップホップ調の甲高い声で歌う10代の少女の島唄が、私たちの送別会を旅のクライマックスへと盛り上げてくれました。その島唄を聞きながら、私は奄美大島についての新しい絵のアイデアを想い描いていました。私たちのグループ展も催した美術館、田中一村の名を冠したその美術館に陳列されていた、異国情緒あふれる奄美の風景をテーマにした田中一村の沢山の絵を見ていたので、私は、それとは違う考え方や感じ方、無論私自身のスタイルや技法が私の絵にはなければならないと思っていました。とにかく、私はその構図の要はマリナちゃんの姿でなければならないと確信したのです。

 

東京に戻ると、私は関さんの妹さんで「東京における奄美文化情報センター」である玲子さんに、私の絵にお嬢さんの姿を使うことについて、マリナちゃんの両親に同意を得て欲しいと頼みました。両親は私にOKを与え、マリナちゃんが8月の末に東京で催される全日本民謡大会に出ることを知らせてくれました。玲子さんと私は、その最終決戦に出掛け、マリナちゃんとお祖母ちゃんに会いました。真先によいニュースがありました。マリナちゃんとお祖母ちゃんの生徒さんでもう1人の奄美の少女が受賞したのです。ですから、玄関ロビーでマリナちゃんの写真を撮っているのは、私一人ではありませんでした。大勢の記者やカメラマンたちが、私と一緒に少女たちの写真を撮っていました。

 

私は、去る11月に作品の制作に取り掛かりました。私は、その絵にマイオリ イタリー南部のアマルフィ海岸沿いの町 の風景を配しました。その風景の前方の壁に、私は紬の着物を着たマリナちゃんの後ろ姿のシルエットを描きました。その着物は、東京の全日本民謡大会で最後に彼女が着たものと同じものです。とは言え、そのシルエットの彼女の肩の下の部分は壁に空いた、言わば覗き孔へと次第に変化して、前景にはアダンの木のある奄美の風景が、そして背景には嵐の前の奄美の砂浜が示されています。私は、また奄美のシンボルを二つ配しました。一つは、赤いカワセミ(アカショウビン)です。それは、覗き孔を通って奄美世界から地中海世界へと逃げ出そうとしているように見えます。もう一つは、奄美を代表する亜熱帯の花の一つである朝鮮朝顔(ダチュラ)です。それはナポリの土の上に落ちているように見えます。

 

私にとっては、アマルフィ海岸も奄美大島も、幾つかの共通の特徴を持っているように思えます。イタリーについて言うならば、北欧の顕著な特徴とは違うもの、また、日本について言うならば、日本本土のそれとは全く違うもの、そのような異質な文化と伝統を両者とも持っているように思えるのです。アマルフィーでも奄美でも風景はエキゾチックで、長い砂浜があり、その砂浜はマンガン色の空の下でサファイア色の海の中へと溶けています。同時に、両者は互いに正反対な面もあり、一方にはナポリ民謡とアマルフィ海岸でのタランテラ・ダンス、他方には奄美諸島の島唄や踊りがあり、そして、ナポリ海岸でのパスターやチーズや赤ワインが、奄美には鶏飯や刺身や焼酎があります。

 

この絵にインスピレーションを与えているものは、奄美の優美な10代の少女、アマルフィ海岸と奄美大島の素晴らしい風景、そして美しいナポリ民謡や島唄です。音楽がこの絵を満たしています。前景には長調でだんだん強く昂揚感が、その背景には短調でだんだん弱く静寂感が漂っています。少女のシルエットに空いた孔の背後の奄美の風景は、ナポリの風景と対置されています。両者ともそれぞれ美しい歌です。その歌は同時に歌うと、ハーモニーに溢れた多重音が全体として響いているように聞こえます。ナポリの人々は、音楽からインスピレーションを得て、まるで7音階であるかのように街路の石段を7つの段を用いて組んだに違いありません。あるいは又、石段はピアノの白鍵で、その一つひとつの後ろには、まるで5音階のような、ピアノの黒鍵のような石が見え、このようにも想像することができます。

 

この絵のタイトルについては、私は“Amami, Amami!”とするのが面白いと思います。最初の“Amami”はイタリー語の「Love me」を意味し、二番目の“Amami”は私の友人たちの生まれ故郷の名前だからです。彼らの故郷で、初めて私は15歳の少女が歌う美しい島唄を楽しんだのですから。      

(東京201218)

 

 

グエン・デイン・ダン,  Amami, Amami!, 油絵, 60.6 x 72,7 cm, 2012